金利というのはお金に対するレンタル料金であるとよく言われます。
お金を借りる際には必ず金利が付きます。レンタルビデオを借りる時のように何かを借りる際にはそのレンタル料金が発生するものです。
では、お金と金利はどちらが先に出来たのでしょう?
実は金利の方が先
お金とは何か? というのは非常に難しい問題ですが、ここでは一応硬貨や紙幣と言ったお金を指します。
そして、硬貨や紙幣の誕生よりも遥か昔に金利の概念というものは出来上がっているのです。
世界最古の貨幣は紀元前670年頃にアナトリア(現在のトルコ)で作られた「エレクトロン貨」だと言われています。
それ以前にも、古代中国王朝である殷やインドの古代王朝で子安貝が通貨として流通していた跡も残っています。
有名な民俗学者である柳田國男氏は古代中国王朝の人たちが子安貝を求めて日本に来た際、稲作を伝えたのではないかという仮説を打ち立てている程です。
13世紀の著名な書物である「東方見聞録」によれば、その頃でも中国では子安貝が貨幣として使用されている記録が残されています。
一方の紙幣の歴史は遥に浅く、10世紀頃中国で発行された「交子」が最初であると言われています。
東方見聞録の作者マルコ=ポーロも、イスラムの歴史学者イブン=バットゥータも当時の13世紀ごろの中国の首都大都にて紙のお金が流通しているのを見て大変驚いたという記述が残されています。
さて、対する金利の歴史ですが、こちらは古代メソポタミア王国の有名な「ハムラビ法典」に詳細な記述が残っています。
ハムラビ法典が発布された正確な年代は特定されていませんが、紀元前1760年頃ではないかと言われています。
この「ハムラビ法典」は原型を「シュメール法典」に求めるのが現代の一般的な会社であるため、おそらくは紀元前2000年頃、すなわち今から4000年も昔には既に「金利」は存在していたということになります。
古代の金利の在り方
ハムラビ法典によると、金利は主に銀と穀物を借りた際に発生したことが記述されています。
その際の金利は、穀物を借りた場合は33.3%の金利が、銀を借りた場合は20%の金利が発生したそうです。
これは現在の総量規制、すなわち貸金業法における貸付限度額が年収の3分の1を越えてはならないという規定及び上限金利が20%であることと対応します。
当時は農業社会でしたし、穀物の取れ高は現在の年収額に相当します。
この頃から年収の3分の1を超える貸し付けが生活を破綻させるということはよくわかっていた訳ですね。
賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶという諺があります。
日本における貸金業法が施行されたのは2006年のことです。
それまでは総量規制に関する規定がなかったため、日本では沢山の首つり人が発生しました。
古代メソポタミア人でさえ知っていたことを知らない日本の為政者たち。
彼らを愚者だと言うのは言い過ぎでしょうか?
そもそもの金利とは何なのか?
お金とは何か? を問うのが難しいように、金利とは何か? という質問に答えるのもなかなか難しいものがあります。
メソポタミアにおいて、金利は基本的に穀物に掛けられたものでした。
メソポタミアは「肥沃な三日月地帯」とも呼ばれる程肥沃な土地です。
ヨーロッパのイギリスにおいて、1粒の麦を植えると一年後には2粒の実がなっているという記録があります。
「晩鐘」で有名なミレーの「落穂ひろい」では、落ちた麦を何とか拾おうとするイギリス農民の姿が描かれています。
一方のメソポタミア地方では、1粒の麦を植えると1年後には20~80もの粒が実っていたそうです。
古代メソポタミアにおいて、麦の1粒はより大きな資産を産む物であったのです。
現在のマネーもこれと似たような物に当たります。
お金を投資すればお金は増えるという概念が現代では基本となっています。
その投資する機会を喪失してまで貸与をするからには、それ相応の対価を支払う必要がある。
その対価こそが金利だと言えるでしょう。
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